Nature is where happiness is~自然は幸せの在処~

「ひとりひとりが、主体的に自然と関わり合う社会」をめざし、ナチュラルでサステナブルで、刺激的な日々を過ごす日記。

書評No2 “心の中に毒を持て”

芸術は爆発だ

今回はこの誰しもが一度は耳にしたフレーズを放った、岡本太郎氏の著作、”自分の中に毒を持て”を紹介する。本書は同氏の没前3年に書かれ、”自己啓発”とひとくくりにされるには、あまりにも事足らない、渾身の名著である。

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岡本太郎 1911年生まれの芸術家で、前衛的な作品を次々と発表し、世の中に衝撃を与え続けた。1996年没。

太郎氏の綴る言葉一つ一つには、常に自らに危険を課し、挑戦を続けた生き様が刻まれている。その折りに触れるごとに、”ではお前自身の生き方はどうなんだ”、と問われている気分になり、これまでの自分の惰性を後悔させられるのだ。本当に、奮い立たされる本だ。

今日は、その中から最も心に残った三つの項目を紹介したい。

”最大の敵は自分なんだ”

18歳でパリに飛び込み、画家としての夢を描いた太郎少年。だが、画家として、ただ額縁の中のみで美を追求する事が人生なのか、人間が本当に生きるとは如何なるものか、迷い続けていた。画家という職能に精通し、その道を極める事を放棄し、既存の枠をはみ出し”無目的に自分を広げる”事、それは同時に危険な道でもある。食っていけないかもしれない、究極、”死”が訪れるかもしれない。

そして、その思いと対峙する。

”そして、今でもはっきりと思い出す。

ある夕方、僕はキャフェのテラスにいた。一人で座って、絶望的な気持ちで街路を見つめていた…。「安全な道をとるか、危険な道絵をとるか、だ。」あれか、これか。 …この時にこそ己に決断を下すのだ。戦慄が身体の中を通り抜ける。この瞬間に、自分自身になるのだ、なるべきだと、ぐっと総身に力を入れた。

「危険な道をとる。」

いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。…死に対面する以外の生はないのだ。”

それ以来、太郎は決断を迫られた時には、常に”自分にとってマイナスな、危険だと思う”方を選択する。そんな確たる決断を持った彼は、自分に”忠実”に生きることや、”幸福”になることを、否定する。

生きがいとは何か

太郎は、人間が生きがいを感じるのは、己を突き放し、常に試し続けることにあるという。

”自分を大切にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのである….

己を殺す決意と情熱を持って、危険に対面し、生き抜かなければならない。今日の全てが虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきなのだ。

太郎氏は続ける。

強烈に生きることは常に死を前提としている。死という最も厳しい運命と直面して、初めて命が奮い立つのだ。….この世の中で自分を純粋に貫こうとしたら、生きがいにかけようとすれば、必ず絶望的な危険を伴う。その時、”死”が現前するのだ。 惰性的に過ごせば死の危機感は遠ざかる。しかし虚しい。死を恐れて引っ込んでしまっては、生きがいはなくなる。今日はほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になってしまうのだ…

太郎氏は、その瞬間一瞬一瞬に、運命をかけて対峙に、ベストを尽くすために、どのような行動をしたのだろうか?

何かをやろうと決意する”こと

”例えば、画家にしても才能があるから絵を描いているんだろうとか、情熱があるから行動できるんだとか人は言うが、そうじゃない。

逆だ。

何かをやろうと決意するから意志もエネルギーも吹き出してくる。…自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。”

才能が、情熱がとか、あれこれと口を並べるのではなく、本当に今やりたいことに、全身全霊をかけてぶつかること、それをひたすら貫き通すことの大切さを、彼の背中は語っている…..

まとめ

社会が成熟すればするほど、人間の生活は物質的に豊かになる。そして、”この道を通れば安全だ”というレールが、いたるところに敷き詰められるようになる。太郎は、安全な道を進むこと、システムの上で惰性的に生きることを一蹴する。人間らしく生きるために、自分の生きがいを全うするために。私は、今の瞬間瞬間ににベストを尽くせているだろうか?己を試し続けられているだろうか?そんなことを突きつけられる名著である。